地域日本語教育コーディネーター 簗田緩奈さん・一氏隼人さん(神奈川県)

地域日本語教育に携わるコーディネーターという役割を聞くようになってきましたが、コーディネーターになる道筋はどんなものなのでしょうか。また、それぞれどのような想いを持ち、どのような仕事をしているのでしょうか。神奈川県では、かながわ国際交流財団の地域日本語教育推進グループに勤務するコーディネーターが5人いらっしゃるそうですが、今回はそのうちのお二人、横須賀三浦地域担当の簗田(やなだ)さんと県央地域担当の一氏(いちうじ)さんにお話をうかがいました。

――まずはお二人のコーディネーターになるまでをお聞きしたいのですが……簗田さんから日本語教育に携わるようになったきっかけのところからお願いできますか。

簗田 私は大学生のとき、日本語教師という職業について何も知らない状態で、何となく日本語教員養成課程に登録しました。それで、日本語教育のおもしろさを知って、そのまま履修を続けて、実習もやって、卒業しました。卒業後は、一般企業に就職しましたが、海外で働いてみたいという気持ちから、日本語教育について学んだことを生かして海外に行けないかと思うようになりました。それで、日本語教師としてインドネシアに行くことになりました。教師経験がない状態で行ったので、週4日、授業をするのが大変で……最初の1年目は寝る間を惜しんで教案を作っていました。

帰国後、日本語教育について学び直す必要があると感じ、大学院へ通うことにしました。大学院に通いながら、留学生・ビジネスパーソン・難民・生活者などいろいろな属性の人に教えたり、文化庁の「生活者としての外国人」に対する日本語教師初任研修を受講したりする中で、地域の日本語教育に興味を持ちました。在学中に日本語教育推進法が成立して、文化庁の地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業が始まりました。この事業に関われたらという思いで、大学院修了のタイミングで求人募集のあったかながわ国際交流財団に応募しました。

一氏 私は大学生のときにチューターというかたちで留学生に関わっていました。このときは日本語教育に関心があったわけではありませんが、日本語を教える難しさは感じていました。卒業後、一般企業に入りましたが、簗田と同様に一度海外で働いてみたいという思いが当時ありました。どんな仕事があるか検討してみたのですが、大学時代のチューターのことを思い出し、日本語教師を目指すことにしました。働きながら2年ほどかけて日本語教師養成講座に通い、講座修了後、韓国の日本語学校で日本語教師として働き始めました。

学習者の大半がビジネスパーソンということで、授業は朝と夜に集中していました。朝は7時から9時頃まで、夜は7時頃から10時まで授業がありました。昼間は授業がなく、授業の準備に充てていました。そのような生活を3年送った後、日本に戻りました。

帰国当初は国内の日本語学校で働こうかと思ったのですが、その一方で日本語を教える以外に日本で暮らす外国人の助けになる仕事をしてみたいという思いもありました。ちょうどそのとき、ある国際交流協会が地域日本語教育コーディネーターを募集しているのを見つけまして、応募しました。そこで、2年ほど働き、そのときは外国人母親向けの日本語教室や外国につながる子ども達の学習支援教室の運営などに携わりました。業務に携わる中で外国人住民を取り巻く環境について知りたいという思いが強まり、仕事を辞め、大学院に進学しました。大学院では外国人母親のサポートネットワークの構築課程について研究しました。

大学院を修了する頃、かながわ国際交流財団が地域日本語教育コーディネーターを募集していて、進学前に在職していた国際交流協会の上司からの、「神奈川県は外国人住民に対して先進的な取り組みをしていて、そこで働くことはきっと糧になるよ」というすすめもあり、応募して今に至っています。

――お二人は、コーディネーターとして何か事前に勉強したり講座を受けたりということはあったのでしょうか。

簗田 私の場合は、大学院生のときに関わっていた教室にコーディネーターがいたので、その姿を見て、「こんな働き方」というのは想像できていました。ただ入職前に想像していたイメージと現在の役割は違っていて。自治体の方々との仕事が主で、戸惑いはありました。文化庁の地域日本語教育コーディネーター研修を受けたのは入職した後(2022年度)です。

一氏 私も特段、コーディネーターについて勉強したというよりは、業務を通じて知見を広げていったという感じです。以前勤めていた国際交流協会では、地域の外国人住民や日本人ボランティアさんと接することが多かったのですが、簗田からあったように神奈川での仕事はそうではないので、コーディネーターといっても、その役割はさまざまだと感じています。文化庁の地域日本語教育コーディネーター研修は今年度(2023年度)受講しています。

――具体的には、今現在のお仕事内容はどのようなことですか?

一氏 まず「はじめてのにほんご」という初期日本語教室の運営があります。これまで、横浜や横須賀、海老名などで開催しています。この教室は、「地域日本語教室ではゼロビギナーへの対応は難しい」「集中して日本語が学ぶことできる教室が必要」という課題から立ち上がりました。レベルが2つあり、レベル1が日本語を初めて勉強する方を対象としたクラス、レベル2がひらがな・カタカナが読める方を対象としたクラスで、各レベル20回、1回2時間の教室です。語彙や文法を学ぶだけではなく、緊急電話のかけ方、救急車の呼び方、防災、ゴミの分別など生活に役立つ情報を提供する機会(通称:生活オリエンテーション)を組み込んでいます。

教室運営におけるコーディネーターの仕事としては、開講前は、専門家(日本語教師有資格者)への講師依頼、講師・県職員・市職員との調整、広報や申し込み受け付け、生活オリエンテーションの企画などがあります。広報はチラシを作成して商店やレストラン、宗教施設など外国の方が集まる場所へ行ってまいたり、関係団体に郵送したり、当財団WEBサイトに掲載したりします。

実際に教室が始まってからは、コーディネーターが直接教えることはないですが、教室に同席し、その場で戸惑っている学習者の方がいたら声をかけたり、教室の時間の前後に来ている方とコミュニケーションをとったりして雰囲気作りをするよう努めています。その中で困りごとなどが学習者の方から出てきたら、講師や関係者にフィードバックします。

簗田 私の担当地域に関しては、ボランティアの方が運営している日本語教室の数が多いので、「はじめてのにほんご」の運営と並行して、地域の日本語教室を訪問して、お互いの教室を見学しあったり、学習者にお互いの教室を紹介しあったりしています。あとはボランティア研修の企画もしています。

一氏 その他には「かながわ地域日本語教育フォーラム」というフォーラムをオンラインで行っています。外部から「やさしい日本語研修」の依頼があった場合は講師をしたりもしています。

簗田 目に見える事業としては教室の運営や研修の開催などがありますが、コーディネーターとしては神奈川県の地域日本語教育の体制づくりを推進する必要があります。教室運営をしていると、その地域に住む学習者のニーズとか、ボランティアの方の活動状況とかが見えてくるので、「こういう学習者がいて、こんなニーズがあるので、こういう教室をやったらどうでしょう」「ボランティアの皆さんはこういう状況だから、こんなボランティア研修をやってみませんか」というような働きかけをしていきます。こういう地道な活動を積み重ねることも、コーディネーターとしての大切な役割だと思っています。

一氏 自治体の方々などからなにか相談があったときに「〇〇市さんはこういう取り組みをしていますよ」など、参考になる情報を提供するのも役割のひとつですね。エリアごとに担当のコーディネーターがいて、コーディネーター間で定期的に情報共有をし、各自治体の取り組みは把握するようにしています。

――お二人はかながわ国際交流財団の職員というお立場ですが、働きやすさという点ではいかがですか。

簗田・一氏 忙しいですが、労働環境の面では恵まれていると思います。働き方の特徴としては、神奈川県内ではありますが移動が多いですね。それからボランティア研修は土日に行われることが多いので、休日出勤も多いです。ただ振替休日はきちんと取れるし、働きやすいのではと思います。

――コーディネーターとして働いてみて、今の時点での感想や、これからの課題などはありますか。

簗田 国の取組もどんどん進んでいて、日々新しい情報が入ってきて、勉強することも多くて、とても楽しく働いています。新しいことを学んで、それをかたちにしていくのが好き、長距離移動も平気、学習者やボランティアの方々との交流や対話を楽しめる人であれば、楽しい仕事だと思います。一方で、コーディネーターという役割はまだまだ知られてないなと感じます。

一氏 事業実施に向け関係者間で調整し、それが日本語教室や研修という形で立ち上がる。その一連のプロセスが見られるのがおもしろいと感じています。この地域日本語教育の体制整備に向けて、コーディネーターとしてさまざまな人や組織との連携を一層進めていきたいと思いますが、そのためにはまず対話を重ねる必要があると感じています。今後はその点を重点的に取り組んでいきたいです。

一般企業に就職後、海外で日本語教師を経験し、大学院を経て地域のコーディネーターとなったお二人。インタビューを通じて、コーディネーターとしての役割を模索しながら真摯に仕事に向き合っている様子を感じ取りました。教室に来る地域の外国人の方、ボランティアの方の状況を丁寧につかみ、それを行政の方たちなどに「つなぐ」役目を意識して活動している姿が印象的でした。