日本語教室は、活動している人たちにとってどんな意味を持つのでしょうか。特に、若い世代の参加が望まれている現在、日本語教室は若い世代にとってどんな意味を持つのか、インタビューを通して考えます。佐藤さん(仮名、20代)は、現在、大学院生で、B市の日本語教室で活動を行っています。その佐藤さんに、日本語教室で活動する中で、どんなことを得ているかについて聞きました。【深江新太郎】
親しみやすく、ほっとできる場所
ー佐藤さんは、日本語教室で活動する中で、どんなことが楽しいですか。また、日本語教室での活動を通して、どんなことを得ていますか。
【佐藤】本当に個人的なことでいいですか。家族であったり、学校関係者であったり、そういった自分がもとから所属している以外のつながり、新たなつながりができたっていうのが、私の今、活動している中での嬉しいこと、得ていることです。B市の日本語教室って、あたたかい場所で、学習者と日本人スタッフと職員、学習者、全員の方に、自分のことを知ってもらえて、時に気にかけてくれたりします。特に日本人スタッフの中にはすごく親しくなった方もいるので、新たなつながりもできて、孤独を感じない、と言ったらおおげさな表現かもしれないんですけど。ただ、この教室に関わる以前は、自分にとって、ほっとできるような場所が家族であったり、学校以外、あんまりなかったなと思うと、それが得られたというのが嬉しいところです。
ー家族、学校以外の場所として、ほっとできる場所があるということですね。たとえば学校と、今の教室の違いって、どんなところですか。
【佐藤】学校は、どうしても自分の研究であったり、勉強関係の話。同じゼミ生、教授に対しても、そういう話が多い。私、あんまり、学校でプライベートの話とかは、友達、先生にしていなくて。でも、B市の教室のメンバーとなると、ふだん、会話の活動の中でも自分の話をしたり、もちろん相手のプライベートの話を聞いたり、なんかもっとこう、親しみやすい、親しみがある。プライベートの話ができる人達という点で、親しみやすさがあることが一つ、学校との違いかな、と思ってます。
ーなるほど。
【佐藤】それは、家族との違いでもあります。家族には、家族に言えることがもちろんあるけれど、ちょっと近すぎる存在ゆえに相談できないときとか、逆に教室で知り合った人と、時には会話の活動の中で、時にはLINEであったり、相談できたりします。
ーなるほど。教室って、外国人の人と交流するという意味合いとは別に、家族、学校と違う人たちと親しく交流できるっていう意味合いがあるのですね。
【佐藤】私自身、日本以外の文化であったり、社会問題であったり、そういうことにすごい興味があって、いわゆる外国人の方と関わるのが好きなんですけど、それだけでなくて、一個人としての何と言うか、人間関係形成、をそこで築いている。人間関係を、そこで築いている。
サードプレイスとしての日本語教室
佐藤さんは、家族と学校では得られない新たな人間関係をB市の日本語教室で築いています。その関係性は、家族や学校では話せない自分自身のことを伝えられる親しみのあるものです。佐藤さんは、その関係性をあったかい場所、ほっとできる場所、と表現しています。このことから、佐藤さんにとって、B市の日本語教室は、オルデンバーグが提唱したサードプレイスとして機能していると言えます。サードプレイスとは、家庭でも、職場、学校でもない居心地のよい地域に開かれた居場所です。例えばヨーロッパのカフェのように、開放的で、身分や属性を問わず、対等な関係性で会話を楽しむ場所です。このサードプレイスを踏まえると、佐藤さんのインタビューは、図1のようにまとめることができました。
B市の日本語教室が、佐藤さんにとって豊かな人間関係が形成できるサードプレイスとして機能していることは、佐藤さんが日本語教室に関わり続ける大きな理由になっていると言えます。
執筆 / 深江新太郎
「在住外国人が自分らしく暮らせるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。福岡県と福岡市が取り組む地域日本語教育体制整備事業(文化庁補助事業)のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。